刀塚
2017年03月29日 08:37
先日、東公園の方に行って来ました。
東公園の本多忠次邸の道路を挟んで反対側に不自然な丘があるのですが、実はここは刀塚と呼ばれている所です。
その昔、室町時代の末期に近江国の武将が城が落ちてしまった為、三河国の縁者を頼って来たのですが、三河国の縁者も援助を差し伸べる余裕もなかったのでその武将は再起を諦めて仏門に入る事を決めました。そこで自らが持っていた刀をこの場所に埋めました。ここから刀塚という名前がつきました。
その後、徳川家康公の時代になり大賀弥四郎という家臣が武田と内通したため処刑された。そして、その妻と子供も現在の東公園の周辺で磔刑にされた。
それを哀れに思った村人たちが、この刀塚にその家族のお墓をたててまつったそうな。
現在でも、この墓碑はありますので近くを通った際はそんな事があった場所だと感じて下さいませ。